読んだ本と見た映画 沈まぬ太陽/イエスタデイ/マチネの終わりに
こんばんは、久しぶりの投稿となってしまいました。
今回の記事では近況もかねていろんなことを書いてみたので下の目次で興味のあるところまでとんでいただけると幸いです。
読書『沈まぬ太陽』
最近では、春休みにはいってから読み始めた山崎豊子著の『沈まぬ太陽』が一番のお気に入りの作品となっています。
500ページ×5巻なので、ただでさえ読むのが遅い僕はお風呂やカフェに行くことで読書以外何もできない状態を作り上げながら先日、ようやく読み終えることができました。
内容は1985年の8月12日に起きた御巣鷹山事件(日本航空123便墜落事故)をテーマに日本航空(JAL)の当時のずさんな経営を描いたものです。
これを、読んでいる途中に沈まぬ太陽の映画やドラマまで出ていることを知ったので、読み終えた後に、評判の良かったドラマ版を見てみました。(1話約50分、全20話)
ドラマでの人選、特に堂本会長や八馬が、もう本を読みながら描いた人物像と合致したのでより一層感情移入できた気がします。
とても面白いのでぜひ読んでみてください。
この本(とドラマ)の影響もあって、機会ががあれば今度御巣鷹山の現場にも足を運んでみたく思っています。
また、兼ねてから考えていた次の海外旅行の行き先をアフリカに決定しました。
予防接種等、準備は大変そうでありますが、どこまでも続く何もない草原と野生の動物を見たいと思っています。
映画『イエスタデイ』
映画では、この前、アマゾンプライムで有料公開された『イエスタデイ』を見ました。
昨年、口コミで徐々に有名になったのは知っていたのですが、見る機会がなく終わってしまったためとてもワクワクしながら見始めました。
内容は、ビートルズが消えた世界で一人だけビートルズを覚えている主人公が曲を演奏することで有名になっていく物語です。
単純で分かりやすい内容にもかかわらず、曲の美しさや思い入れが重なり思わずとても感動しました。(大好きなエドシーランが出ているのも見た理由の一つです。)
この映画を見て以来、ビートルズの曲を1曲ずつ僕のつたないギターでカバーしていくことが最近の暇つぶしとなっています。
この前は、ひょんなことからビートルズのウィキペディアなんかを読み始めたら軽く2時間立っていました。活動期間こそ10年ほどですがその間にもたくさんの出来事があり、それらの経緯を理解したうえで曲を聞きなおすとまた、新しい先入観と共に楽しむことができます。
映画『マチネの終わりに』
先入観つながりの話をしますが、大好きな本の1つである『マチネの終わりに』の映画を先ほど見終えました。
半年前に公開された映画なのですが、当時この本を読んでいた最中であったため、読み終わったら映画館に見に行こうと思っていたら公開が終わってしまいました。
内容は、人生で3度しかあったことのない人に運命を感じて魅かれ、その運命がねじれていくといったものです。(たぶん伝わらない)
本自体はとても気に入っていて、これをきっかけに著者である平野啓一郎さんの作品をいくつか読んだほどです。
『ある男』や、『空白を満たしなさい』といったものを読んだのですが、どれも個人の在り方や自分らしさとは一体何なのか、といった疑問について深く追及されているものでした。また、新書では『分人主義のススメ』といったものを出されており、とても納得できたので少し紹介します。
というのも、僕自身、中学、高校、大学やバイト中、または親といる時、一人でいる時とでキャラクターが大きく変わるので本当の自分とはどれなのかと考えることが時々あります。
結論から言うと、本当の自分などは存在せず、自分自身とは相手とのかかわりの中で形成されていく分人の集まりであるとされています。分人とは個人をさらに分割したときの単位であり、僕の中には中学の友達との分人、高校の友達との分人、大学生としての分人が混在しているのです。そして自分らしさとはこの分人の割合や数によって決まるものであると筆者は述べていました。
なんだかいろんな疑問がすっきりできて、何より自分自身への理解が深まるのでぜひ読んでみてください。
ものすごく話は逸れましたが、『マチネの終わりに』は音楽が題材にあるので映画で見たときには感じ方が違うのでは、とこの半年間ひそかに楽しみにしていました。
見終わった率直な感想は、感動はしなかったです。しなかったというより、できなかった感じです。
感動の涙が出るぎりぎりのラインまでは何度も行くのですが、そのラインを超えることは一度もなかったです。
これは要所要所に使われる音楽がシーンにあっていなかったからなのか、それとも本での先入観により勝手にイメージを作りすぎたからなのか、はたまた僕の邦画に入り込めない病によるものなのか。
先入観をなしにして見ればきっと感じ方も違うと思いますが、一度ついてしまった先入観をなくすことほど難しいことは無いので僕はもうこの映画を見ることは無いと思います。
邦画に入り込めない病
せっかく長々と書いたのでついでに話に出た邦画に入り込めない病についても書いてみようと思います。
僕は洋画が大好きで、邦画はあまり見ません。それは、単に海外かぶれであることも否定はできないのですが、本当の理由はもっと違うところにある気がして自分なりに考えてみたので紹介します。
その理由の1つ目は、日本人として日本語の細かいニュアンスや意味を理解できてしまうからではないかと思います。普段話している言語だからこそ、演技中の少しの違和感などに敏感になってしまっているのだと僕は思います。一方、英語は細かいニュアンスやアクセント、違和感などを気にもせずただ流れる字幕を見ることが多いので自分なりの解釈ができることが入り込める秘訣に繋がっていると考えています。
また、2つ目の理由としてはその音が挙げられます。日本語は世界の言語の中でも音程が一定である方です。しかし、映画の中ではスケールを大きく見るためにも声に抑揚をつけて話す必要があり、これが私たちの日常とかけ離れているため、入り込めないのだと思います。一方で、英語は高低差が大きく、日常会話にもさまざまな音を含んでいるため、大げさにしなくても派手な演出ができるのではないかと考えています。
まあ、いろいろ書いたのですが個人的に好きな邦画もあり、特にジトーっとした雰囲気が全体に流れているものは引き込まれます。
以上、最近のお気に入りから現状報告までつらつらと書いていたら朝になってしまいました。ああ、起きれるのかな、ではまた。